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kukuna o ka lā はハワイ語で「太陽の光」という意味。 好きな人と二人暮らししている普通の日々のことを短くぼそぼそ語ってます。
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なんか、すごいタイトルなんですが。

これは、古いアメリカ民謡。元はスコットランドから伝わったといわれている。

ナターシャセブンが日本語の歌詞をつけた。

外国の歌を日本語に置き換えて歌うことはとてもリスキーだけど、

選ばれし才の持ち主だけが、それを自然に行えるのだと、

ナターシャや清志郎さんなんかの訳詩をみるにつけて思う。


  私に人生といえるものがあるなら、

  あなたと過ごしたあの夏の日々。


もう、この一節だけで十分な歌だ。

この歌を「悲しい」歌と思うか、「しあわせな」歌と思うかは

人それぞれだと思う。


わたしは、どちらともまだ言うことはできない。

まだ、人生がどんなものなのか、わかっていないのだろうな。


誰かに出会って愛した「幸せの瞬間」から、人は必ず

その人を失う運命を受け入れなければいけない。


この歌詞では、もうこの人はその愛を失っている。失った

悲しみを受け終えてしまっている。あとは、幸せだったころの

思い出だけが残って、それを享受するだけ、二度と失う苦しみを

味わう必要はない。


私は45歳で結婚した。

結婚したそのときから、いつも頭にあることがある。

普通に寿命を生きたにしても、あと何年彼と一緒にいられるのだろう。


20代や30代で結婚したカップルに会うとき、

彼らの若さを羨ましいとは、正直あまり思わない。

若い頃の、いろいろな面倒くささを思い出すとなおさら。


でも、「ああ、彼らはこれからもしかして50年、60年、一緒に

いることができるかもしれないのだ」と思うと、

自分に残された時間の少なさに、愕然としたものだった。


夫と出会わずに、失うことのつらさを考えることもなしに

生きていったとしたら、それはそれで楽だったろうか。


今年ももう終わろうとしている。

この一年は、本当に大きかった。

一緒にいることの辛さと喜びを、結婚してからいちばん

強く感じたかもしれない。

結婚したことによって出来た人々とのつながりに

ささえられもした。


人生に、「もしも」なんてない。

一本の道があるだけだ、と、偉そうに言っていたけれど

そんな思いが折れて、そして、またつながった。

さらに強い芯を持って。


「わたしに人生といえるものがあるなら」


今まで生きてきた一瞬、一瞬と、

これから後何年続くかわからないけれど

家族と、友人たちと、一緒に過ごしていく日々。

それがすべて、今思えるのは。


来年は、明日は、何が待っているのだろう。

それが良きことでも、悪しきことでも、

私の人生の一部なのだろう。いや、「私たちの」。


皆様にとっても、来年が、明日が、

「素晴らしきかな、人生」の、ひと時となりますように。

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古い小さな平屋、お庭には小さな畑(ただし私は水やるだけ)、もっと小さな花壇とプランタたち、できれば縁側がほしいけど、現在倉庫と化している。
一日一日をちょっと離れたところから眺めてみたい。
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